私の好きな人たちが

私の好きな人たちが私のことを嫌いでなかったら他はどうでもいい。クラスの誰々ちゃんが最近調子乗ってようが何してようがどうでも。そもそも誰々ちゃんって誰だっけ?

とか言っていたのが中学の帰りの電車の中で、それを聞いた友人がすごいねって言ってくれたのを覚えている。今思うと何もすごくないし、クラスメイトの名前くらい覚えておいた方がいい。私はそういう中学生だった。

ただ、この「私の好きな人たちが~」のフレーズは今に至るまでじわじわ形を変えて何度となく思い返している。結局私の望みはここに集約されるからだ。この話はあまり人にしたことがない。かなりふわふわした話だけれど、今はこういう話が私に必要な時だと思うので、する。

私の好きな人たちが私のこと嫌いでなければ他はどうでもいい、の“他”に自分が含まれていることに気づいたのは大学生の時だ。自分のことも結構どうでもよかった。我が強いのにね。そうかな?自分のこと一生分からないな。とにかく、自分がこれから何をしていきたいかを考えた時に未来の自分の姿を全く想像できなかった。私の好きな人たちが私のことを嫌いでなかったらそれでよかった。私の好きな人たちは皆、健やかに未来を切り開いていける人たちなので残念ながらそこに私は不要なのだった。

だけどここ数年で「他はどうでもいい」の部分が変わってきた。他はどうでもいいと言いたい所だけど、その“他”に私の好きな人たちが大事にしたい人や物が含まれるかもしれない以上は大事にする。他がどうでもよくなくなってきたのである。他を大事にすることは巡り巡ってきっと私の好きな人たちの幸せに繋がるに違いない。自分を大事にするのはまだあまりうまくはないけれど、まあ、やります。やっていくので見ていてほしい。

あとは私を好きか嫌いかもどうでもよくなってきた。もちろん嫌われていたら悲しいが、だからといって私が好きな人たちを諦める理由にはならない。私の好きな人たちが私を嫌いでも、大事にしたいし幸せを願っていたい。だから今は私の好きな人たちが毎日嬉しくて楽しくて元気だったらそれでいい。そうであってほしいなと思う。もし元気じゃなかったら連絡してほしいし、私でなくとも誰かや何かに助けを求めてほしい。

私の好きな人たちへ。嫌なことはたくさんあるけれど、どうにか生き延びてください。勝手ながら応援しています。

高校の友人曰く“ウェットでロマンチスト”な私のお話でした。私のこと覚えてる?もうべちゃべちゃだよ。